ひきこもり状態にある方のご家族のためのセミナー「寺子屋ふぁみりあ」

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セミナー報告

2015年9月

「ガッショウ」という言葉から見えてくること


9月3日の寺子屋ふぁみりあは、本願寺派浄円寺住職で府中刑務所教誨師の芝田正順師をお招きし、「「ガッショウ」という言葉から見えてくること」というタイトルでご講演いただきました。


講演の冒頭では、タイトルについてお話しいただきました。あるとき、芝田師が御自坊で法事の御導師をお勤めのとき、いつも通り参列者に向けて「合掌してください」と言うと、半分ぐらいの方が合掌していませんでした。そのとき芝田師は、音で「ガッショウ」と聞いても、「合掌」を思い浮かべない人がいることに気づかれました。「ガッショウ」には「合掌」の他に、「合唱」や「合従」もあります。僧侶である自分にとっては当たり前の「合掌」が、一般の方には当たり前ではないことを思い知らされました。これをきっかけとして、「自分が当たり前だと思っていることが、相手にとってはそうでないときがある」ということを、よりいっそう認識するようになったそうです。

事実は一つかもしれませんが、人それぞれが抱えている想いや経験によって、見え方は異なってきます。あるいは、同じ人が同じ事実を見たとしても、そのときの心境や状況によって受け取り方が変わることもあります。人に何かを伝えるとき、自分の常識を押し通すのではなく、相手の立場や想いを汲んで伝えることが大切であると、「ガッショウ」という言葉から芝田師は学ばれたそうです。そして芝田師は、このことを胸に府中刑務所で教誨師も務めておられます。

芝田師からはご自身の経験をもとに、教誨師についてもお話しいただきました。教誨師の役割とは、宗教家(僧侶・神主・神父・牧師など)が刑務所や拘置所や少年院で、その中の方とお話をしたり、想いを聴いたりすることであり、施設によってそのやり方は様々だそうです。

芝田師によると、近年、高齢の女性の方の入所が増えており、その多くは窃盗や万引きで3年ほどの刑期でありながら、何度も罪を繰り返し、刑務所を出たり戻ったりしているそうです。そのため、出所した高齢の方が戻ってこないようなプログラム作りも検討されはじめている、とのことです。


芝田師はとても丁寧な語り口で、一つひとつの言葉を大切に選びながらお話しされていました。僧侶でもあり、教誨師でもある芝田師は、上から目線にならず、同じ目の高さでお話することをいつも心掛け、また、相手とのつながりやご縁を深め、相手のことをよく知ることを大切にしているとおっしゃっていました。本日の講演からも、僧侶として、教誨師として、多くの人と向き合い、その多くの人の想いを汲んでお話しされてきたことが伝わってきました。

次回の寺子屋ふぁみりあは、10月1日にジャーナリストの池上正樹さんをお迎えし、「大人のひきこもり−当事者が望む新たな社会との関係性−」というテーマでご講演いただきます。

 
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