ひきこもり状態にある方のご家族のためのセミナー「寺子屋ふぁみりあ」

  • ニュース
  • 寺子屋ふぁみりあについて
  • セミナー報告
  • リンク

セミナー報告

2012年3月

晴れ晴れ・イキイキ生きるには

 平成23年度最終回の「ふぁみりあ」は、日蓮宗大本山池上本門寺執事で大多喜南無道場道場主の野坂法行先生をお招きし、「晴れ晴れ・イキイキ生きるには〜つながりといのちの不思議に気づく〜」とのタイトルでご講演いただきました。

また、講演とフリートーク終了後、受講者に修了証を授与し、別室にて懇親会も催されました。以下は、講演の抄録です。


2011年3月11日、東日本大震災でおよそ2万名の方が亡くなりました。また、原発も原爆も同義語でありまして、人間の科学技術が引き起こした点、パンドラの箱を開けてしまった点では一緒です。
これだけの事故や災害を経験して、神仏は何を気づかせたかったのでしょう。失われた故郷の土地に倒れた人々への思いを引き受けていくことこそが、仏教で言う真の「回向」ではないかと思いますし、自然の前に、人間はもっと謙虚になるべきではないでしょうか。

日蓮聖人は、幕末に「立正安国論」を奏上いたしまして、「旅客来りて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘、遍く天下に満ち、広く地上に迸る。牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。死を招くの輩、すでに大半に超え、これを悲しまざるの族、あえて一人も無し」と冒頭にあります。

これは、人間の考え方のゆがみ(日常のこと、権力闘争)をもった為政者を正されるために書かれたのですが、わけても日蓮聖人が大切にし、その生涯の行動の規範とされた法華経(仏教のメインの教え=正法とも称す)は、人間が人間として人間らしく生きるために、お釈迦様が本来の私たちに説かせた大本の教えです。
正法(法華経・仏教・宗教)が尊重されれば個人には心の安らぎが、その個人が構成する社会・国・人類社会には本当の意味での安定・秩序と平和がもたらされるという、このような状態を日蓮聖人は立正安国というように表現をされたようです。

法華経=妙法蓮華教の教えの内容は、如来寿量品第十六、すなわちタイトルでもおわかりいただけるように、我々一人一人のいのちは仏さまと同じで永遠であり、神秘的・不可思議であるということが
説かれているものです。仏教=法華経という教えが、宗教の人間に対して持っている基本的認識は「一切衆生悉有仏性」すべての生きとし生けるものは悉く仏性、すなわちそれぞれにかけがえのないいのち、個性、持ち味というものを持っている。非常に詩的に表現すれば、「人、みなに美しき花あり」。つまり法華経はいのちの教えと表現をすることができるのかなと思います。
槇原敬之さんの、「世界にひとつだけの花」という歌は、法華経の生命観、人間観を、非常に的確に表現していると思います。

人・民族はそれぞれに必要と訳があって存在している。一人一人、各の民族の文化や自主性を大切にして、自分の勝手な都合や思いこみで切り捨てたり、差別したり、ましてや踏みにじったりしてはいけないということになるのかなと思います。日蓮聖人はこうした理念を曼陀羅本尊として表現されたと私は受け止めております。つまり、私たちは仏法、妙法のまっただ中にいると言い切ってしまっていいのかなと思います。

ここに来て、いのちの営みの内実が、生命工学の進歩によって科学的に明確になってきました。ヒトの遺伝子の組み合わせは七十兆通りだそうです。細胞は体重60キロの人なら六十兆個で構成されています。生命史が紡いできた三十八億の歴史の営みの結果、地球を生きものが暮らす場として見る時に、宇宙ともつながっている事実というものに気づかされます。

宇宙ともつながった地球環境の大変動は、生命の大絶滅を引き起こすと同時に、過酷な状況ですが、それが生命の大進化をもたらしたり、人類の文明・文化の発展にも非常に寄与してきたという重要な側面があります。私たちは改めて、生命の営みに対して謙虚にならなければいけないのではないでしょうか。
長年農業に携わってきた農家経営の長老の話ですが、「米は作るものではない、米はとれるもの」という言葉に、私はハッとさせられました。まことにもって、いのちというのは神秘的で不思議で、かけがえのないもの。それに気づくのと気づかずにいくとでは、人生の充実度が大きく違ってくるのではないかなと思います。

お釈迦さまが示された、国・社会が健全に保たれ繁栄する「七つの衰退しない法」というのがあります。@よく会合する。A一致和合して会合、決議、実行する。B制度をむやみに変更しない。C年長者を尊敬する。D女性を抑圧しない。E各種の宗教施設を尊重する。Fさまざまな宗教者を尊重する。これらのことは、私たち一人一人が久遠の本仏=生きとおしのいのちから遣わされた仏さまの使い(仏使)であり、子供(仏子)であるといういのちの教えである、法華経の認識=信心が根底にないと、たぶん成り立ちません。

我々僧侶も含めた仏教徒(人の親も同じだと思いますが)は、この世に縁あって生を受けた人々や、各の民族がその本分を自覚してイキイキ・キラキラした人生やまた日常を送るサポート役です。妙法=正法(宇宙の摂理)の真っ只中にある自分と妙法に支えられてあるこの世界をしっかりと認識・承知する方法。それがお題目や南無阿弥陀仏と唱えること。そのように承知できれば、個人としては晴れ晴れ・イキイキとした人生を送ることになり、社会的には平和な人類社会=安国が実現する。それがお題目や座禅をしたり、南無阿弥陀仏を唱えることではないでしょうか。



Copyright The ZENSEIKYO FOUNDATION for youth and child welfare All Rights Reserved.
当サイトに掲載されている画像・内容についての無断転載はご遠慮ください。